■高校野球それは「極左メディアが仕掛ける人工的感動劇場」!?
だが、毎年繰り返される“感動の祭典”の裏側に、ある強い違和感を覚える。
夏の大会の主催は朝日新聞社。(春の大会は極左の毎日新聞社)
国家観や保守的価値観を批判し続けてきたリベラル・左派系メディアであるはずの同紙が、なぜ「郷土」「家族」「団結」「涙」といった保守的情動を前面に押し出す「高校野球」という舞台を主催しているのか?
▼朝日新聞の「戦中・戦後」構図は同じ
戦時中、朝日新聞は戦地の兵士の奮闘を美談化し、戦意を煽り、結果的に若者を前線に送り出す言論装置として機能した。
戦後、報道機関としての信頼回復を模索する中で、新たに“舞台”として選んだのが高校野球だった。
1946年に全日本高等学校野球連盟(高野連)が設立され、朝日新聞は「共催者」として夏の全国大会の主導権を握る。
単なる文化支援ではない。
そこには明確な商業的意図が見て取れる。
▸ 大会主催によるブランドイメージ強化
▸ 全国紙面での特集展開
▸ 新聞販売・広告収益・放映権事業の最大化
▸ 甲子園=清らか・感動・誇りという物語の構築
こうして「高校野球=美談」という構図が演出され、商業戦略に転化されていった。
▼郷土愛という感情の“装置化”
朝日新聞は本来、共同体的価値観(国家・家族・地域)に対して批判的な立場をとってきた。
だが高校野球においては、「地元代表」「ふるさとの誇り」「地域一丸で応援」といった言葉を連呼し、日本人の郷土愛を情動的に動員している。
これは、戦時中に用いられたレトリック、
「大東亜共栄圏のため」
「お国のため」
と極めて似通っている。
かつては戦場へ。
今は球場へ。
送り出されるのは、いつの時代も、純粋な若者である。
▼教育か? それとも統制か?
以下のような慣習・構造が、高校野球には今も色濃く残っている。
▸ 坊主頭の事実上の強制(明文化規定なし)
▸ 判定への抗議禁止
▸ 精神論に基づく指導(「根性野球」「気合い」など)
▸ 上意下達のピラミッド構造
▸ 厳格な服装・所作指導(スパイク、ユニフォーム、挨拶)
これらは教育的配慮ではなく、旧日本軍を思わせる儀式性と規律の再演ではないかとの批判もある。
▼「暑さ対策」も演出か!? ドーム開催という選択肢
近年では、熱中症への対策として「水分補給タイム」や「夕方開催」などが大袈裟に採られているが、それはあくまで全国大会限定の配慮である。
地方大会では、炎天下の午前中から試合が行われ、選手や応援団が熱中症で倒れる事例が後を絶たない。
実際に、2023年夏、東海3県の地方大会では1日で37人が熱中症で搬送された(中日新聞報道)。
全国的な統計は未公表だが、文部科学省の調査では学校スポーツ全体で年間5,000件超の熱中症搬送が確認されており、高校野球もその一部を構成していることは間違いない。
一方で、2025年現在、日本にはプロ野球公式戦が可能なドーム球場が7か所存在する(エスコンフィールド北海道を含む)。
気象リスクが高まる中、聖地・甲子園に固執することが果たして正しいのか。
選手の安全と将来性(特にプロ志望者)を考えれば、ドーム開催は選択肢として再検討されるべきである。
▼「感動の押し売り」と偽善構造
この構図は、真夏の東京で冬季競技であるマラソンを開催するなどして炎上した某24時間テレビ的構造と類似している。
▸ 視聴者の涙と善意を装った演出
▸ 「頑張る姿=正義」という情動操作
▸ 個人の苦しみや努力を“商品化”して感動コンテンツ化する構造
高校野球もまた、教育を隠れ蓑にした感動商業主義に組み込まれていないか?
▼報道か、演出か 朝日新聞の自己矛盾
報道機関であるはずの朝日新聞は、高校野球においては以下の役割を兼任している。
▸ 主催者
▸ 演出家
▸ 広報担当
▸ ビジネスオペレーター
自ら作り上げた舞台を、自ら報道し、自ら賞賛する。これはもはや報道ではなく、自己演出型プロパガンダである。
▼球児は「主役」か、単なる「広告素材」か?
球児の努力は真実だ。
だが、それを取り巻く構造には、以下のようなマーケティング的意図が透けて見える。
▸ 感動は「演出された商品」
▸ 涙は「消費されるコンテンツ」
▸ 郷土愛は「動員装置」
▸ 球児は「神聖化された広告塔」
こうした構造の中で、「純粋な努力」すらも、企業とメディアの商業的戦略に取り込まれてしまう。
▼朝日新聞の“本当の狙い”とは?
▸戦前:国家のために、若者の情熱を利用
▸戦後:報道ビジネスのために、若者の情熱を再利用
つまり、朝日新聞の本質的なスタンスは一貫している。
「若者」と「郷土」を感情的に動員し、世論の空気を形成・掌握する装置を作ること、である。
▼高校野球を健全に発展させるためには極左メディアとの決別を
もし本当に球児を“主役”としたいのなら……
▸ 高野連は、公益法人として説明責任を果たすべき
▸ 朝日新聞は、主催から撤退すべき
報道の名を借りて、国民を偏向報道でミスリードし、若者の命と感情を操作するような組織に、未来を託してはならない。
あるいは……いっそのこと、会社ごと日本から消えればいい。
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