■高校野球(学校教育)と農村に染みつく「集団責任」という重病
あまりにもツッコミどころが多すぎて、SNSユーザーが食いつかないわけがない。
もちろん、どんな世界にもオモテとウラがある。
高校球児が汗と涙で作る感動の物語は、朝日新聞とNHKが演出するオモテの世界。
その裏側には、両者が決して報じない闇が広がっている。
今回の広陵高校の件など、氷山の一角にすぎない。
この構図、ジャニーズ問題とそっくりだ。
報道される華やかな舞台裏で、都合の悪い現実は隠される。
ツッコミどころ満載なのは、そういうダブル・スタンダード構造が透けて見えるからだ。
▼今回のテーマは集団責任
今回、ボクが本当に取り上げたいのは事件そのものではない。
焦点は集団責任という日本的な責任の取り方だ。
一人の部員がやらかしただけで、無関係な大勢が連帯して罰を受ける……それが集団責任。
理不尽きわまりないのに、高校野球では長年、当たり前のように存在してきた。
▼甲子園出場校による集団責任事例(一部)
▸PL学園高校(2013年)
・部員による集団暴行事件
・春夏甲子園出場停止
・近畿大会辞退・監督辞任・部員募集停止
▸明徳義塾高校(2005年夏)
・部員の暴力・喫煙
・夏の甲子園開幕直前に出場辞退
▸早稲田実業高校(2019年秋)
・複数部員の問題行動
・秋季東京都大会を自主辞退
▸浪華商業高校
・部員による暴力事件
・大会出場辞退
▸門司東高校
・部員の試験免除問題
・大会出場辞退
▸高知商業高校
・野球部員による恐喝事件
・大会出場辞退
▸岡山南高校
・野球部員による暴行事件
・大会出場辞退
▸敦賀気比高校
・無免許運転などの非行行為
・大会出場辞退
▸駒大苫小牧高校
・部員の飲酒喫煙
・大会出場辞退
▸神戸弘陵高校
・部員の飲酒喫煙
・大会出場辞退
▸日大三高校
・部員の資格問題
・大会出場辞退
▸函館有斗高校
・マネジャーによるひき逃げ事故
・大会出場辞退
▸作新学院高校(2014年)
・部員の暴力行為
・春季大会出場辞退
▸仙台育英高校(2012年)
・部員の飲酒喫煙
・春季大会辞退
▸東洋大姫路高校(2010年)
・部員の暴力
・大会辞退
実はボク自身も、高校野球部時代に一人の部員の不祥事で生贄のように責任を押し付けられ、野球部を退部した経験がある。
ボクの場合、転校はしなかったので、その後の学校生活は地獄だった。
▼学校教育にも根を張る集団責任
高校野球業界の理不尽な集団責任は、そもそも昭和世代の学校教育では、集団責任は日常茶飯事だった。(今は知らんけど)
授業妨害、体育祭の不参加、修学旅行でのマナー違反、練習態度不良、備品破損──犯人が一人でも、クラス全員が連帯で反省文や掃除、罰則練習を課された。
これは単なる教育方針ではない。
背景には、明治以降に学校へ移植された軍隊文化がある。
軍隊では、兵士の一人が規律違反をすれば部隊全員が罰を受ける。
個人の失敗は集団全体の恥、互いに監視し合って秩序を維持する。
個より集団を絶対視するこの思想が、そのまま学校、そして部活に生き残った。
▼農村に生き続ける集団責任
実は、この理不尽なルールのルーツは農村文化にあるとボクは思う。
農村文化に比べれば、高校野球や学校教育なんてまだ可愛い方なのかも知れない。
農村に足を踏み入れた瞬間から、新規農家はもちろん、非農家であろうが、そのルールは自動的に適用される。
消防団、自治会、部落会、青年団、JA──これらに属している人間は、行事や共同作業から逃れられない。
欠席すれば和を乱す者とされ、下手をすれば村八分だ。
畑作地帯でも十分大変だが、稲作地帯はさらに濃厚だ。
▼稲作地帯における共同作業の掟
▸水路・堰の清掃
▸田植え・稲刈りの相互扶助「結」
▸用水配分のルール順守
▸苗代作り・畦塗りの共同実施
▸畔・土手・農道の草刈り
▸カントリーエレベーター利用規則
▸選挙での自民党への投票の強要
不参加や遅延は罰金、利用制限、信用失墜、労働応援停止、村八分扱いが待っている。
▼有機農家・JA脱退者への追加ペナルティ
有機・無農薬農家にはさらに別のルールがある。
病害虫被害が広がれば、無農薬農家に加害者責任が集中、ラジコンヘリの農薬散布に参加せずに大問題、冬水管理の実施も大問題、地域で変人扱いされ支援者がいなければ村八分へ一直線。
さらにJAに属さない、あるいは脱退した農家には追加ペナルティが山盛りだ。
▸共同施設の利用不可や高額利用料
▸共同購入ルートの遮断
▸水配分や作業順での不利
▸出荷ルートやブランド使用制限
▸冠婚葬祭からの排除
▸情報遮断
▸交際断絶(親だけではなく子ども等も)
経済的不利益と社会的孤立のダブルパンチである。
▼集団責任のルーツは農村文化にあり
高校野球の集団責任は、軍隊文化から来たと思われがちだが、その根っこをたどれば、日本の農村文化にたどり着く。
全員でやる、抜け駆けは許さない、常に個より集団優先……。
これは美徳として語られる一方で、時に人を押し潰す重荷にもなる。
広陵高校の件は、その縮図にすぎない。
日本社会の奥底には、まだまだ根深い集団責任のDNAが生きている。
ちなみに、ボク自身は既に村八分状態なので、地域の掟とは既に無縁です。
お陰で掟ストレスは少ないです。はい(苦笑)。
(つづく)
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