■羅臼岳ヒグマ事故 ― 山は人間の遊び場ではない
人も熊も、それぞれの理由で同じ地にいた。
その出会いが悲劇となったことが、ただただ悔やまれる。
知床・羅臼岳で起きたヒグマ襲撃死亡事故。報道は「人気の山で悲劇」と同情的に伝えるが、現実はもっと単純だ。
山はヒグマの家であり、人間が勝手に上がり込んだ結果の自己責任である。
▼現代登山者の「安全幻想」
羅臼岳は世界自然遺産であり、同時にヒグマ生息密度世界有数の地。
それにもかかわらず、「整備された登山道だから大丈夫」「人気の山だから安全」という安易な思い込みが横行している。
観光地化された山域に入れば、自然は人間のために整えられた公園だと錯覚してしまうのだ。
だがヒグマにとって、そこは自分の生活圏であり、人間は招かれざる客どころか、ただの侵入者でしかない。
▼先住民族の知恵を失ったツケ
アイヌ民族はヒグマをキムンカムイ(山の神)として畏れ、接触には厳格なルールを設けている。
北米やシベリアの先住民も同じく、距離を保つことで共存してきた。
彼らは「クマの世界に入る」時には作法と覚悟を持ち、不要な接触を避けきた。
現代日本はその文化的距離感を捨て去り、危険地帯をアクティビティ会場に変えてしまった。
結果、遭遇すれば即ハンターを呼び、動物を処分する。
責任の所在を誤魔化したまま。
▼行政の矛盾
世界遺産・観光振興と野生動物保護を同じ看板に掲げる行政は、両立不可能な二兎を追っている。
観光客を呼び込みながら「ヒグマとの共存」を謳うのは、都合のいいプロパガンダにすぎない。
今回の事故でも、最終的に駆除されたのはヒグマだ。
つまり、被害者は人間だけでなく、ヒグマ自身でもある。
▼本当に学ぶべき教訓
▸ ヒグマ生息域への立入は完全自己責任を明文化すべき
▸ 危険地帯のゾーニングや立入禁止を徹底し、観光収益のための緩和策は排除する
▸ 先住民族の距離を保つ知恵を現代ルールに落とし込み、事後の駆除を前提にしない管理体制を構築する
▼山は人間の遊び場ではない
この事故は「不運」でも「予期せぬ悲劇」でもない。
人間が野生の領域に踏み込み、文化的な畏れと距離感を失った結果だ。山は人間の遊び場ではない。
それを忘れたとき、次の犠牲者は時間の問題で現れる。
静かに、亡くなられた方の魂が安らかであることを願い、そして山中で命を落としたヒグマにもまた、自然の中での安らぎが戻ることを祈りたい。
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