■灼熱と旱魃の黙示録
太陽(火)に焼かれ、渇く日本列島の現状を『聖書』から読み解く

▼全国各地で水不足が深刻化している。

新米の収穫が危ぶまれ、コメ農家からは「過去最悪かもしれない」と悲鳴が上がる。

ダムの貯水量は平年の半分以下に落ち込み、各地でプールの営業中止が相次いでいる。
そして、関東では今年初となる気温40度超を記録。

4日連続での40度超えは、観測史上最長レベル。
九龍颯大 2025.08.03
誰でも

もはや「異常気象」では済まされない、構造的異変が進行している。

今日日はキリスト教の安息日=日曜日。

ボク自身はキリスト教徒ではないが、キリスト教徒約25億人、イスラム教徒20億人、ユダヤ教徒を含めれば、『聖書』という書物が人類文明に与えてきた影響力は、決して無視できない。

そして、その『聖書』の中に......

今まさに私たちが直面している「灼熱」と「渇き」の風景と不気味に重なる記述が、『聖書』には確かに存在している。

▼焼き尽くす太陽──終末の“熱”と人類の硬化

「第4の御使いが鉢を太陽に注いだ。

すると太陽は人々を火で焼くことを許された。

人々は激しい熱に焼かれ、それでも彼らは、その災いを支配する神の名を冒涜し、悔い改めて栄光を帰そうとはしなかった。」
 ➔ヨハネの黙示録16章8〜9節

この一節は、単なる終末の幻ではない。

「人類が悔い改めることを拒んだ結果としての灼熱」という構造を、明確に描いている。

科学はCO₂を主因とするが、聖書は霊的な頑なさこそが、熱と乾きの根本要因だと告げている。

▼干ばつは「物理現象」か、それとも「霊的徴(しるし)」か

「わたしが雨を止め三か月も雨を降らせず、ある町には降らせ、他の町には降らせず、一つの畑には雨が降っても、他の畑には降らず、枯れてしまった。」
 ➔アモス書4章7節

日本列島では、今、ダムが干上がり始めている。

水田のひび割れ、用水路の涸渇、プールの営業停止。

水の消失は、実体的でありながらも象徴的な出来事だ。

「主が空を閉ざし、雨が降らず、地に作物が実らなくなるのは、あなたたちが罪を犯したからである。」

 ➔列王記上8章35節

これは「神の怒り」ではなく、「神との断絶によって、祝福が絶たれた状態」の描写である。

水が枯れるとは、天とのパイプが閉ざされたということなのかもしれない。

▼悔い改めと回復の構造──人が変われば地も癒える

「この民がへりくだり、祈り、わたしの顔を求めて悔い改めるなら、わたしは天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒す。」
 ➔歴代誌下7章14節

この一節は、環境の回復は霊性の回復に伴って起こるという原理を示している。

技術や対策では解決しきれない領域に、神学的な視座があるのではないか。

「地球環境の問題は、文明全体の魂の問題である」

『聖書』はそう警告しているようにも聞こえる。

▼日本列島のコメとプールの叫びが、天に届いていないとしたら

・新米の危機は、ただの農業問題なのか?
・水源の枯渇は、ダムの問題なのか?
・人の心が渇いたとき、大地もまた応えるのではないか?

「被造物は、共にうめき、共に産みの苦しみをしている」
 ➔ローマ人への手紙8章22節

気候変動の裏にある「産みの苦しみ」とは、新たな文明への移行か、あるいは滅びの序章か。

▼いま、この記述をどう読み解くか

「聖書を学ぼう」
「信仰を持とう」

そういうことを言いたいのではない。

だけど、2000年以上前に書かれたこの文言が、まるで今の日本列島を描いたかのように感じられるのは、なぜだろうか?

太陽が人々を焼き、雨が止み、地がひび割れ、作物が枯れる。

この記述を、いま私たちはどう解釈すればよいのだろうか?

答えはまだ出ていない。

だが、見て見ぬふりをしてよい段階は、もう過ぎているのかもしれない。

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